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相洲楼とは

創業より140余年。
相洲楼は、織物の町・足利において、多くの旦那衆や文化人に愛されてきた料亭でございます。

足利は、かつて多くの織物問屋が立ち並んでおりました。
明治の頃、「相模屋」という旅籠として営業しておりましたが、織物問屋の旦那衆が、京都や各地からお招きしたお取引先様をおもてなしするにあたり、「どこか気の利いた宿はないか」ということで白羽の矢が立ち、料理旅館「相洲楼」としての歩みが始まりました。

直ぐ裏手には渡良瀬川がございまして、江戸から船が到着いたしますと、うちの番頭が、船着き場までお迎えにあがりました。
反物は近くの買い継ぎ場へ、お客様はそのまま相洲楼へお越しいただき、檜のお風呂に入り、浴衣丹前に着替えて、商談を兼ねた宴席が開かれ、当時は各お部屋に芸者が入り、三味線の音が流れ、手拍子と小唄、どどいつなど、旦那衆の芸が大変盛んに行われておりました。――そんな光景が毎夜のように続いておりました。
十二月三十一日は芸者衆と共に除夜の鐘を聞き、そのまま初詣へ向かい、また相洲楼へ戻ってくる――今では考えられないような華やかな遊びが日常でございました。

館内には、当時の面影を残す意匠やしつらえが今なお息づいており、当店には「蘭の間」というお部屋がございます。
こちらは大正初期、各地の師団を回られていた、韓国最後の王朝・李王朝の皇太子、李殿下をお迎えする為に、特別あつらえた特別なお部屋でございます。
柱はすべて漆塗り、欄間や障子の意匠も日本建築というよりは、韓国や中国の様式を思わせる造りで、天井も竹・木・布に漆を施したもので、継ぎの間の天井板は、三百年ものの神代杉を一度土に埋め、自然に木目を浮かび上がらせた大変貴重なものです。
窓ガラスも、いまだに雨戸の開け閉めで、ほとんどが手拭きガラスでございますので、横からご覧になりますとうねって見えるのが特徴でございます。
李殿下は、栃木・宇都宮の師団までは、足利「相洲楼」の「蘭の間」にわざわざ滞在なさって宇都宮までお通いになったということです。

このように足利と共に長い歴史を歩んで参りました相洲楼は、時代の流れとともに料理旅館から、料亭へと生まれ変わります。
形を変えながらも、受け継がれてきたおもてなしの心を大切に、四季折々のお料理とともにゆったりとしたひとときをお届けしてまいります。

相洲楼 女将、若女将

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